2025年4月14日

創造主は答えを教えない──喜びは、苦しみの先にあるから
子供が宿題をしていて、ついに答えを見つけたとき、親は大きく喜ぶ。
その喜びは、単に正解したという事実に対してではない。
悩み、苦しみ、集中し、何度も間違えながら、それでもあきらめずに自力でたどり着いたその過程そのものに対して、親は心から感動し、拍手を送るのだ。
この構図は、人類と創造主の関係そのものだと思う。
創造主が人間に用意したのは、完成された答えではなく、問いと、自由な意志である。
苦しみが存在するのは、失敗があるのは、それが学びの機会だからだ。
それは決して罰ではない。むしろ、創造主からの最高の贈り物である。
人生における苦しみの価値は、「解決すること」にあるのではない。
それをどう乗り越えたか、どんな視点を得たか、どんな新しい世界が見えたか──
そのプロセスに、命の意味がある。
創造主は、人間がエネルギー体であることを知っている。
死は終わりではなく、ただの変化に過ぎないことを知っている。
だからこそ、人間に“自由な旅”を託した。
道に迷っても、涙を流しても、やがて気づくと信じて、そっと見守っている。
教えることを我慢している親の気持ちほど、切なく、深い愛はない。
創造主は、答えを知っていて教えないのではない。
教えないことこそが、愛だから。
このことに気づいたとき、私は初めて「苦しみの意味」が理解できた。
そして、「なぜ答えが与えられないのか」にも納得がいった。
人間が成長すること、気づくこと、乗り越えること。
そのすべてを創造主は祝福している。
それが、答えを与えない理由であり、
苦しみを許す理由であり、
命が生まれてくる理由なのだと思う。